【オピニオン】2019年をveganの年にするために
読了の目安:2分2019年は、英国のThe Economist、米国のForbes、そしてカナダのMaclean’sなど、著名な雑誌や新聞が2019年はveganの年であると宣言することで幕を開けました。
これには、気候変動の壊滅的な帰結を回避するために、肉や乳製品の消費を減らさないといけないという科学者たちの警鐘を鳴らす声が、ここ数年ますます深刻さを帯びてきていることが背景にあると考えられます。
これに、snsやストリート上で、反種差別を訴えるアクティビストたちの声が重なり、いよいよ耳を塞いでもその声は無視できるものではなくなってきたのでしょう。
そしてさすがの日本でも、雑誌が健康やファッションのための菜食ではなく、セレブリティの声を通してとはいえ、れっきとしたvegan特集を組むまでになりました。
もはや臨界点に達した以上、実際に2019年はveganismという言葉が浸透する年となり、劇的に状況は変化するでしょう。
しかしもちろん、これで安心してはいけません。
veganism、そして反種差別、あるいはそもそも反差別という概念を正しく認識していない限り、例え菜食文化やveganという用語だけが浸透しても、本質的な問題解決には正しくアプローチできません。
ファッション感覚、あるいは環境保護の観点からベジタリアンになった人も、人間は後付けで理由を利用するもので、元々搾取される動物のためを思ってveganになったと口にするようになる人もいるでしょう。そして自分が口にした言葉を耳で聞いて、実際に反種差別の意識に目覚めることになる人もいるでしょう。しかし、例えば環境保護の観点から食生活を変える人は、最も環境負荷の大きい牛肉や乳製品をやめる一方で、その代替としてより多くの家禽類を消費するという選択をするかもしれません。実際に一部の環境主義者たちは、そういった選択を推奨してさえいます。
生焼けのままの概念を飲み込ませる危険性はそれだけではありません。動物問題の消化不良が導きうることには、福祉製品の普及もあります。コチラの記事でも取り上げたように、動物福祉を掲げる製品は消費者の罪悪感をやわらげ、産業の安定化につながってしまう恐れがあります。福祉ラベルの普及は日本では特に危惧すべき案件です。
同様の懸念は福祉製品だけではありません。下の図は単なるマヨネーズなのですが、「ovo-vegetarian」というラベルが貼ってあります。つまり、「卵以外は植物性原料で出来た製品ですよ」ということですが…
マヨネーズが卵で出来ていることくらい誰でも知ってる!!
しかし、「ベジタリアン」マークが付いているだけで、あたかも他の製品より健康的であったり、倫理的にマシであったりすると錯覚する人もいるでしょう。これは海外の友人に送ってもらった写真で日本の製品ではないのですが、日本でもずるがしこい企業がこういった小手先のマーケティング手法を利用し出すことも想像に難くありません。
これこそ、veganとベジタリアンという概念を明確に分けなければいけない理由、そしてveganという用語のabuse(乱用というか、むやみやたらに意味を拡張して使用することなど)にも、口うるさく反応していかなければならない理由でもあります。つまり、今後veganという用語が街に溢れるようになっても、例えば「ゆるvegan」といった謎の概念のように、実際にveganismの考えを反映したものでないのなら、問題の大部分は取り残されたままになります。veganといった概念が広まることで、同時にこういった誤ったマーケティングのニッチが拡大して行くリスクも考慮しないといけないのです。
改めて、veganismとは、他者の抑圧や搾取に反対する思想であり、月曜日だけ肉を食べないようにしたらゆるベジの伝道師にすべての罪を贖罪してもらえるといったシステムではありません。
私たちは常に自分たちの罪を認め、それを最小にするよう努力し続けなければならないのです。そしてまた、反差別を掲げる以上、人種差別、ジェンダー差別、学歴差別など、人間に対する種々の差別も受け入れないし、sns上のハラスメントをヘラヘラ見過ごすようなこともしません。
2019年が、これまでの先駆的な活動家たちの先導によって、ついに人類全体がグローバルな菜食世界に向かう道を歩き出した年になることは間違いないでしょう(途上国の状況も今後これに続くはずです)。しかし、この道には間違った分岐が多く、遠回りも多いです。そのため、この道をグローバルなveganismへの道につなげられるか、そしてまた、その先に続く苦しむものが生み出されない世界にたどり着けるかどうかは、引き続き私たちveganのガイドにかかっています。
健康でも、環境主義でも、ファッションでも、宗教でも、ヨガでも、ビジネスでもなく、存在を与えられた誰もが抑圧の対象となることなく、できる限り苦しみなく生きられる世界のために、明確な定義と妥協のない態度と共に、veganismを推進していきましょう。
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