【オピニオン】「議論」をしよう、意見を表明していこう!
(読了時間の目安:2分)「議論」と「喧嘩」は違うよ
話し合いができない人は、どんな国でも、どんな場所にでもいます。でも、議論の重要性そのものの認識が、日本人には特に欠けていると言われています。おそらくその理由は、本音と建て前や、自動的な年功序列や男尊女卑の文化全体が原因でもあるでしょうし、海外の多くでは教育の過程に当たり前に取り入れられているディベートの仕方を学ぶ機会がほとんど与えられないこともあるでしょう。中には、「議論」と「喧嘩」の区別もできない人もいます。
確かに、議論やディベートでは、少々熱くなって勢いのある口調になってしまうこともあります(もちろん単なる暴言は範囲を逸しています)。しかし、喧嘩との根本的な違いは、「相手自身」を何らかの形で負かすことが目的なのではなく、ディベートであれば「相手の意見」を負かすこと、議論であればお互いの意見のやりとりから、「お互いのにとってのより良い認識」を得ることが目的になります。そして教育的な形で行われるディベートは、一方的に暴論を通す弁護士のような技術を磨くためではなく、実際の議論の場で、マナーを守り、より実りのある議論ができるようになるために行われるのです。
Veganは議論しなくても広まる?
vegan(あるいは単なる菜食主義者?)の中には、そういった議論そのものを否定的に考えている人たちがいます。しかし、それは言い換えれば、他の意見に聞く耳を持たないとか、反対にどれだけ間違った考えを持っている人がいても正そうとしない、という無責任な態度を意味していることになります。
そういった人たちの中には、考えを示さなくても、veganとしての生き方がより簡単で楽しいものになれば、きっと多くの人がveganになってくれるだろう、と主張します。しかしこれは、全然現実的な話ではありません。
例えば、街の真ん中に高い跳び箱を持って行って、それを跳ぶことを人々にアピールすることを考えてみましょう。あなたはそれを跳ぶことが苦ではないけども、他の人たちはそれを跳び越えようとしません。あなたは、「きっとそれは、跳び箱が高すぎることと、跳び箱自体があまり面白いことではないと感じているからだろう」と考え、今度は跳び箱を下げ、一生懸命楽しそうな素振りで跳び箱を跳んで見せるようにします。一部の人はそれに参加するかもしれません。しかし、他の多くの人は相変わらず興味を示さないでしょう。その理由は、「跳び箱を跳ぶ必要」を彼らは感じないからです。街には他にも多くの関心を惹くものがあります。
楽しくなきゃやらなくていいの?
しかし、veganismは違います。一部の人が気まぐれに参加するだけではいけません。被害者がいる以上、実際に誰もが道徳的な跳び箱を跳ぶ必要があるのです。そして、実際にその違いと必要を示すために、私たちは議論や様々なアクションを通じてveganでない人に意見を伝えなければならないし、そういったアクションをより効果的なものにするためにも、vegan同士での議論が必要なのです。
また、例えveganが健康や楽しさアピールで増えたとしても、社会正義運動であるveganismがそれで終わっていいのでしょうか?例えみんながveganになっても、世の中にはまだまだ多くの問題が存在しています。楽しくなきゃやらない、自分のためにならなきゃやらない、では、到底それらの問題の多くは跳び越えられないでしょう。そしてむしろ、楽しくなきゃやらない、自分のためにならなきゃやらないという考えが、それらの問題の多くを生み出しているとも言えます。veganが正さなければいけないのは、そこなのではないでしょうか?
終わりに
実際に、veganとしての生き方が容易になっても、人々がveganになるわけではないことを示す例が、台湾やタイなどの国の実情でしょう。それらの国、特に一部の都市では主に食品を中心として非動物性の物が多く流通しており、veganレストランなども多く見られます。しかしそれらの街に住む人々の大半はveganではありません。その理由は、それらの国での菜食文化は宗教的なものに由来しており、特定の期間や行事、あるいは特定の宗教を信仰する人以外には、その「必要」を感じられないからです。
veganがより健康的で、より楽しい生き方だと伝えることも一つの手段としては有効かもしれませんし、そういった手段に集中した啓発を行うことも一つの戦略でしょう。しかし、それだけでは決して十分ではないのです。そして、より核心的な「必要」の部分を広めようとする人たちを一方的に否定するようなことは決してすべきでないのです。もしこういった意見に異論があるのなら、まさにそこで「議論」が必要とされるのです。
ちなみに、「意見はそれぞれ」、「物は見方による」という意見そのものも、議論の場で正当化が必要な一つの意見でしかない、ということも忘れないようにしましょう。
より良い啓発とそれによる動物たちの解放に向けて、議論をしていきましょう!
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